八重山諸島を舞台にした小説「秘祭」が結構すごかった。

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photo credit: Ippei & Janine Naoi via photopin cc

八重山諸島を舞台にした小説に、石原慎太郎の「秘祭」があります。

小説を読むにつけ、舞台となった島は、新城島ではないかと推察されるのですが、小説の最後に「八重山諸島に想を得たが特定の島や個人とは関係ない」と氏の断りがあるためあくまで推測です。

新城島はいまでは石垣島からの定期航路はなく、チャータ船でダイビングやキャンプを楽しみに来る旅行者が訪れる程度です。ただし、これは時代の流れの中で、島の住人が島外に出てしまい、かつてあったリゾート施設や宿泊施設等も今は無いためで、八重山諸島の島としての魅力、美しい浜と海は今でも健在です。

「秘祭」では、住人になりきることで島民から信頼を得てリゾート開発用地を取得するために本土から派遣されたサラリーマンが、島の人々に翻弄され、島の秘密に踏み込んでいくというようなストーリーです。
石原慎太郎らしさというか、いかにも文学然とした風景描写が、少々トガッている中学生、高校生あたりにはグッと来るかもしれません。厨二病にはたまらない仕上がりです。

島で暮らす人々の、南国時間とでも言うようなのんびりした暮らしと、よそ者はあくまでよそ者でしか無いという、閉鎖的思考がない混ぜになった、めまいがするような読後感が、なんともいえずけだるいです。

島で行なわれる祭りは、私達がよく見聞きするような観光化された「お祭り」とは一線を画しており、孤島というだけで常に自然の脅威にさらされてきた人々にとっては、「祭り」はもはや一種の信仰であり、欠くことのできないものとなっています。
その「祭り」には代々受け継がれてきた役割としきたりがあります。

江戸時代初期の頃、まだ琉球では木製の農具を使っていたといい、毎年の農作物の出来不出来は、「祭り」での祈りが左右すると考えられていました。
それは400年経った今でも、ずっと島の人々の心の拠り所になっているのだと思います。
島の村を代表する呪術師は一子相伝のように受け継がれ、その祈祷師を守るために恐ろしいほどの閉鎖性を、島の人々は心に宿しているといえます。

本土でも「村八分」というコトバがありますが、小さな島では島全体が村なわけで、掟を破ったものは島から出て行くしかありません。
自力で出ていけない者は、何らかの方法により存在自体を無き者とされてしまうこともあったのではないでしょうか。

沖縄に限らず、本土にも「奇祭」と呼ばれる祭りが数多くあります。
観光気分で見る分には、変わったことをしているなという感覚ですが、開催している当事者たちはいたって真面目に儀礼的に行っており、祭りに取り組む態度は真剣そのもので、他を寄せ付けない何かがあります。
一度出来上がってしまったしきたりは、破ることは島の民としての「死」を意味します。
冷静に考えればどうということのないようなことでも、自分が、家族が、一族がそのしきたりを破るようなことがあっては末代までの恥だという意識が刷り込まれている人々にとっては、感覚的な問題ではなく、遺伝子レベルで操られていると言ってもいいのではないでしょうか。

「秘祭」では、中盤からクライマックスにかけて、グイグイと島が持つ秘匿性に引き込まれます。
恐ろしくもありますが、怖いもの見たさと好奇心がそれに勝り、一気に読み進めてしまうと思います。

小説の冒頭にあるような、抜けるような青空、紺碧の海、白い浜がもつ開放感や爽快感、秘境感は、島の人々に脈々と受け継がれる暗く生臭いしきたり、言い伝え、習わしにより支えられてきたと言えるかもしれません。

当地の伝説をテーマにしたミステリーは北森鴻氏の連作が白眉ですが、改めて石原慎太郎氏の作品に触れ、氏の多才ぶりを感じずにはいられませんでした。

なお、川島なお美さん主演で舞台にもなっているようなので、興味のある方はぜひどうぞ。